芦田愛菜の信じるという動画を見て思った事

今日はこの記事の紹介からです。

 

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実際の動画

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この動画を見ての感想は「16歳でこの話ができるなら末恐ろしいな」という事でした。

周囲を大人や記者や聴衆に囲まれてのスピーチですが、かなり深い思考を言語化して詰まる事なくスラスラ話す事というのはなかなかできる事ではありません。

このスピーチの中で1:30位からの「信じるとは何か」という質問についての感想が印象に残りました。

 

~以下引用

「『その人の事を信じようと思います』という言葉って結構使うと思うんですけど、それってどういう意味なんだろうと考えた時に、その人自身を信じているのではなくて自分が理想とするその人の人物像に期待してしまっている事なのかなという風に感じて、だからこそ人は『裏切られた』とか『期待してたのに』とか言うけど、別にそれはその人が裏切ったとかそういうわけではなくて、その人の見えなかった部分が見えただけであって、その見えなかった部分が見えた時に『あ、それもその人なんだ』と受け止められる揺るがない自分が居るっていうのが【信じられる】事なのかなって思ったんですけど、でも、その揺るがない自分の軸を持つのってすごい難しいじゃないですか、だからこそ、人は『信じる』って口に出してなんかこう不安な自分がいるからこそ成功した自分だったりだとか理想の人物像にすがりたいんじゃないかなって思いました。」

引用終わり~

 

簡単に言うと「自分の理想とするその人と乖離のあるその人を信じる揺るがない自分を持つのは難しいから『信じる』という言葉を口に出して理想のその人に縋りたい」という事だと思います。

 

僕が常々思っている事に、人の発する言葉はその人の心の裏返しである事が多いなという事です。

例えばこの芦田さんの話した「信じる」という言葉についてですが、本当に自分が誰かを信じている時は敢えて言葉にだして「信じる」と言う必要すらないはずです。母親や他の家族や仲の良い親友に「あなたの事を信じます」って多分誰も言いません。逆に言えば本心では信じられないから言葉にする必要があるという事だと思っています。

他にも「一人は怖くない」という言葉も同じですね。本当に一人でも怖くない人はこんな事言いません。言葉にせざるをえない程一人は怖いと言っているようなものですね。

自分の発する言葉には細心の注意を払わなければいけません。自分の言葉から他人に心の中を見透かされたり、自分自身に負の肯定感を与えたりすることがあります。

 

それにしても16歳でこれだけの文章をスラスラと紡ぎだせる脳を持っているというのはすごいなと素直に関心しました。これから日本を代表して活躍していく女優さんになりそうですね。

 

それでは今日はこの辺で~バイバイ!