自分の発する言葉について

今日は「自分の発する言葉」について書いていきます。

 

言葉は人間が生み出したコミュニケーションツールの一つですが、僕は「人間は言葉によって作られている」と考えています。

 

どういう事かというとそのままの意味なんですが、自分が発する言葉が自分という人間を形成していくという事です。

 

人間は言葉によって様々な精神的影響を受けます。例えば僕は過去に職場で「馬鹿野郎」と言われた事があるのですが、正直ショックを受けました。いや、大した事で言われたわけでは無いのですが、面と向かって言われるとビックリしましたね。でもこれって、言われた側だけではなく言った側にも影響を与えるんです。

 

「馬鹿野郎」と言った人間はもちろん僕の上司だったわけですが、職場の人間全てから影で嫌われて軽く見られるような人でした。

人によってはもしかしたらそのような言葉を肯定できる人もいるのかもしれませんが、余程の理由がない限り口にしない方が良いのではないでしょうか。

 

強い言葉というのはその人の心の奥底にあるむき出しの精神をそのまま露見させてしまい易いです。その結果「底の浅い人」という印象を与え軽んじられてしまうのではないかと思います。

 

そしてその言葉を発する人その人もその言葉を無意識に反芻します。そういう言葉を言える自分、言える立場、それらを肯定してしまうとその事は次にその言葉を吐く障壁を低くしてしまい、簡単にそういった言葉を吐くようになります。

 

事実その上司は自分が贔屓にしている人(美人な社員)には猫なで声で話し、自分が軽んじても良いと思っている相手(男性社員)には恫喝とも取れるような態度で接していました。

その結果自分が贔屓にしている人からも嫌われてしまうという事態に陥っていたのですが、最後までその事に気づいていないようでした。

 

この話で気を付けたいのはそれらは心の中でエスカレートしてしまうということです。強い言葉はその内、暴力となって表面化してくる場合もあります。

強い言葉が必要な場面もあります。ですが、多用しすぎるのは禁物という事です。なぜなら暴力もエスカレートしていくのですから。

 

僕は良く自分の言った言葉を反芻し吟味します。そうすると自分の方が間違っていたり、相手の言い分にも一理ある場合があります。自分の中のものさしから外れている事でも良く考えると正しいと思えたり、正しいとは思えなくても、許せる事はあります。自分の思考のベクトルを吟味する事で相手のベクトルに合わせることもできます。

 

時間がかかっても自分の考えや相手の考えをすり合わせて行くことによってそういった自分を作って行く事ができるのではないでしょうか。

少しづつでもそんな自分に近づけていけたら良いなと思いこの記事を書きました。

 

今日はこの辺で~バイバイ!