何故国境があるのか
今日は僕が良く見る「パンドラの憂鬱」さんで以前取り上げられていたこの記事を読んで感じた事を書いていきます。
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以下コメント引用~
■ 住んでる国の文化に従うべき。
もしそれが出来ないって言うなら、
土葬が可能な国に移るしかないよね。 +31 インドネシア
■ 他の国に移るのは本当に本当に大変なんだよ。
それに多様化って一般的に良い事じゃない? +2 アメリカ
■ 管理されていない多様性社会は、
分離主義を引き起こしてしまったり、
文化とかを放棄して新しい国を生み出す可能性がある。
進歩的な国では国に対する敬意と愛情があるよ。
それは現在でも変わってない。 +3 国籍不明
~コメント引用終わり
日本での永住を決めたイスラム教徒にとっては、土葬出来る場所がないというのは差し迫った問題という文がありましたが、逆をされたらどうなんでしょうね。許されるんでしょうか。気になる所ですが、ブログ記事のコメント欄では「日本に住むなら日本のルールにあわせろ」との声が大半でした。当然ですよね。僕もそう思います。
この他の国に行って自分たちのルールを押し通そうとする感覚ってなんでしょうね。ちょっと理解し難いものがあるんですが、そもそも国というのはある一定数の考えが近しい人たちによって構成されていると考えるのが妥当だと思います。そして、明らかに受け入れられない考えの人たちがいるから国境があると言えるのではないでしょうか。
そこへもって祖国ではない場所に行き祖国と同じように振る舞うというのはある意味国の中に新たな国を生むような行為であり、分裂と諍いを起こす事ではないでしょうか。
日本には「和を以て尊しとなす」というありがたい言葉があります。日本人は多少の嫌な事や不愉快な事でも受け入れる国民性だと思いますが、そこに付け込んでやりたい放題やるというのは違うと思います。
ある人が寛容な人だという事は逆を言えば、その人は他の人にも寛容さを求めるという事でもあります。他の国では違うんでしょうか。
あと、よく思うのですが、外国人の言う「日本で受ける差別」って割と日本人も受けるんだけどなーと思います。例えばいじめとかです。子供のいじめ問題もそうだし職場内いじめとかもそう。「外国人だから」ではなく日本人も同じように経験したりします。
それを持って「差別」とか言われてもなーと思います。
ちょっと話がそれましたが、今日はこの辺にしときます~それじゃぁバイバイ!