暴力と正義と真実

今日は、「暴力と正義と真実」について書いていきます。

 

少年漫画に限らずゲームや小説・映画など所謂ヒーローと言われる人々はたゆまぬ努力を重ねながら力を手に入れ、悪人たちを「力」によって倒していきます。

そしてそこには彼らなりの「正義」が存在します。が、そこで疑問を呈して行きます。

「正義とは何か?」

いろんな物語を読んでも紛争を解決する最終的な手段は暴力です。

そして暴力には大儀名分が必要です。

そう。「正義」とは「大儀名分」です。

物語では大体に置いて読者の納得しうる大儀名分が存在し、暴力による問題解決を肯定できる内容になっています。

 

では、実際のところはどうでしょうか。

物語で読者は神の視点の元、様々な利害関係を把握したまま結末を読むことができますが、現実世界ではそうではありません。

様々な思惑が絡まり嘘や拡大解釈、問題の矮小化やプロパガンダなど様々な手法が用いられ真実が捻じ曲げられてしまう事が往々にしてあり、結果として一つの出来事に対する真実を後世の人が誤って受け取ってしまう事が往々にしてあります。

「真実とは何か」

真実とはなんでしょうか。僕は「真実とは今目の前で起こっている事であり、過去に真実は存在しない」と思っています。(※ちなみに過去については「時間とは何か~」で書いています。)

 

過去に真実が存在しないのであれば僕たちが習った歴史は全て正しいのでしょうか。誰かの思惑によって捻じ曲げられたり、嘘の歴史に書き換えられてはいないでしょうか。

「歴史は勝者が作る」という事もあります。実際にそうだと思います。

 

以前何かで「正義なき力は無力であり、力なき正義もまた無力である」みたいな言葉を聞いたことがあります。

正義なき力はただの暴力であり、後に糾弾され目的を果たせないので無力であり、力なき正義は机上の空論であるみたいな。

 

暴力によって問題を解決した者が自分のした都合の悪い行い(正義なき力)を正当化するため、大義名分(正義)が必要になるというわけです。

 

僕は以上の理由から過去にある真実と言われるものを信用しません。では何を見るか。今現在進行形で行われているものを見ます。

曇りなき眼で見たもので判断しますw

 

ちょっと日にちが過ぎてしまいましたが、8月15日の終戦記念に思った事を文章化してみました。